先日、私には鬼門と思われる交差点を歩いてきました。
そこはdrugが売っている場所への入り口であり、最近は電車の窓から見下ろすだけの場所でした。またdrugを買った帰りに私が捕まったのもその地下でした。しんどさを抑えて買いに行きようやく手にし、いつものあのトイレで使おうと思っていた矢先の逮捕でした。
この日その場所を歩こうと決めた経緯は、たぶんずっと歩きたかった欲求と電車に落ちいついて乗っていられない最近の調子の悪さが合致して一駅歩こうという結論にいたり、その一駅間のゴールにその交差点があったのでした。
久しぶり歩くその道でしたが、歩いてみてあんまり記憶にヒットしませんでした。たぶん夜に数回車で通っただけであとはテンパって歩いたことが一度あっただけの通りだったようです(コレを書きながら今気づきましたが、通りたかった本命の通りはもうワンブロック先だったようですね)。drugホテルと呼ばれていたところも名称が変わっていてどこだったかわからずじまいでした。
そして自分にとってはメインだった交差点に差し掛かったところで、踏切の向こうにsellerが見えました。もちろん『私がsellerです』とスタッフカードを着けているわけでも『あなたがsellerですか?』と確認したわけでもありません。sellerがいつも立っている場所=私が購入していた場所に人がいたので私が勝手にsellerと思い込んでいるだけです。
斜交いにsellerを見ながら歩道を歩いているとふと『神は勝利なり』『あなたの人生は聖書の中に』などと書かれた看板を見つけました。どうやらあやしい新興宗教の建物ように見えましたが、素直に聖書の文字に思考回路も止まりました。こんなところ(drugを売っているど真ん中)にも神さま(自分なりに理解した神)はいたのかーと驚きました。drugに浸りきっていたときにはこの看板に気づかなかったですから。もしかしたら最近作られたものかもしれませんけど^^;
その看板に神さまを感じたあと、鬼門の交差点を向こう側へ渡ることなく決めていたとおり派出所の前を歩き、1ヵ所寄り道したい誘惑に駆られながらもやはり決めていたとおりに一駅間歩き電車に乗って帰りました。
drugのすぐそばを通り結果的には何もなくその日を過ごした翌朝はスッキリした目覚めでした。ここんとこ少しドンヨリした天気だったので目覚めたら快晴だったのも気分がすっきり感じた原因でしょうか。それでも本当にすっりきした朝でした。気分に任せ仲間にモーニングメールを送りました。「このひと月しんどかったけどちょっと落ち着いたみたいー」と。返ってきたメールの内容の一つに「そうだったのー。今はちょっと躁っぽいよー」とありましたが^^;
私は今self help groupに通って12stepを指針にした生き方を仲間と共に実践しています。その中でdrugの使用がとまって5年が過ぎました。少しはspiritualな生き方が出来ているんじゃないかなぁーと感じてもいましたが、交差点を歩いてきただけでdrugを使ったわけでもないのに翌朝に爽快感を感じるなんて、自分のclean(drugを使わないで生きること)はガマンだったのかと思いました。
それを仲間や友人達に話すとそんなことないよーと言います。あそこへ行って無事で帰って来れたんだからと。
じゃぁ、あそこへ行っても守ってもらえると私が神さまを試したのか?そんなことなかったです。使う使わないはなにも考えていなく本当にただ通りたかっただけでしたから。もちろんその前に脳の中でdrugを使ったらどうなるかのシュミレーションはして行きました。drugが体に入っても気持ちいのは2.3秒であとはフワフワ感のあとにダルさだけが残り、追い打ちしても気持ちいい感じは味わえなくただダルさだけが残ることを。
もしかしたら試したのは私じゃなく神さまだったのかも。このことはご自分に従うものとされるための神さまの計画だったのでは。これからは私が主だよと。
悔い改めとは反省して心を入れ替えることではなく、考えを変えること。これからの人生は神が主であり、私は僕であり、神の子である。
あんな場所を歩いていても神さまはいた。インマヌエル。神は共にいてくださる、それも教えてくれたのでは。
心が落ち着いた後、不安が消えているのに気がつきました。すぐに自分のすべてを神さまにお任せする祈りをしました。きっとこの先小さな不安は毎日毎日感じるのだろう。でもそれは私が人間だから感じることであり、不安を感じたら祈る。そうして大きな力に委ねて生きて行きたいと祈りました。
そこはdrugが売っている場所への入り口であり、最近は電車の窓から見下ろすだけの場所でした。またdrugを買った帰りに私が捕まったのもその地下でした。しんどさを抑えて買いに行きようやく手にし、いつものあのトイレで使おうと思っていた矢先の逮捕でした。
この日その場所を歩こうと決めた経緯は、たぶんずっと歩きたかった欲求と電車に落ちいついて乗っていられない最近の調子の悪さが合致して一駅歩こうという結論にいたり、その一駅間のゴールにその交差点があったのでした。
久しぶり歩くその道でしたが、歩いてみてあんまり記憶にヒットしませんでした。たぶん夜に数回車で通っただけであとはテンパって歩いたことが一度あっただけの通りだったようです(コレを書きながら今気づきましたが、通りたかった本命の通りはもうワンブロック先だったようですね)。drugホテルと呼ばれていたところも名称が変わっていてどこだったかわからずじまいでした。
そして自分にとってはメインだった交差点に差し掛かったところで、踏切の向こうにsellerが見えました。もちろん『私がsellerです』とスタッフカードを着けているわけでも『あなたがsellerですか?』と確認したわけでもありません。sellerがいつも立っている場所=私が購入していた場所に人がいたので私が勝手にsellerと思い込んでいるだけです。
斜交いにsellerを見ながら歩道を歩いているとふと『神は勝利なり』『あなたの人生は聖書の中に』などと書かれた看板を見つけました。どうやらあやしい新興宗教の建物ように見えましたが、素直に聖書の文字に思考回路も止まりました。こんなところ(drugを売っているど真ん中)にも神さま(自分なりに理解した神)はいたのかーと驚きました。drugに浸りきっていたときにはこの看板に気づかなかったですから。もしかしたら最近作られたものかもしれませんけど^^;
その看板に神さまを感じたあと、鬼門の交差点を向こう側へ渡ることなく決めていたとおり派出所の前を歩き、1ヵ所寄り道したい誘惑に駆られながらもやはり決めていたとおりに一駅間歩き電車に乗って帰りました。
drugのすぐそばを通り結果的には何もなくその日を過ごした翌朝はスッキリした目覚めでした。ここんとこ少しドンヨリした天気だったので目覚めたら快晴だったのも気分がすっきり感じた原因でしょうか。それでも本当にすっりきした朝でした。気分に任せ仲間にモーニングメールを送りました。「このひと月しんどかったけどちょっと落ち着いたみたいー」と。返ってきたメールの内容の一つに「そうだったのー。今はちょっと躁っぽいよー」とありましたが^^;
私は今self help groupに通って12stepを指針にした生き方を仲間と共に実践しています。その中でdrugの使用がとまって5年が過ぎました。少しはspiritualな生き方が出来ているんじゃないかなぁーと感じてもいましたが、交差点を歩いてきただけでdrugを使ったわけでもないのに翌朝に爽快感を感じるなんて、自分のclean(drugを使わないで生きること)はガマンだったのかと思いました。
それを仲間や友人達に話すとそんなことないよーと言います。あそこへ行って無事で帰って来れたんだからと。
じゃぁ、あそこへ行っても守ってもらえると私が神さまを試したのか?そんなことなかったです。使う使わないはなにも考えていなく本当にただ通りたかっただけでしたから。もちろんその前に脳の中でdrugを使ったらどうなるかのシュミレーションはして行きました。drugが体に入っても気持ちいのは2.3秒であとはフワフワ感のあとにダルさだけが残り、追い打ちしても気持ちいい感じは味わえなくただダルさだけが残ることを。
もしかしたら試したのは私じゃなく神さまだったのかも。このことはご自分に従うものとされるための神さまの計画だったのでは。これからは私が主だよと。
悔い改めとは反省して心を入れ替えることではなく、考えを変えること。これからの人生は神が主であり、私は僕であり、神の子である。
あんな場所を歩いていても神さまはいた。インマヌエル。神は共にいてくださる、それも教えてくれたのでは。
心が落ち着いた後、不安が消えているのに気がつきました。すぐに自分のすべてを神さまにお任せする祈りをしました。きっとこの先小さな不安は毎日毎日感じるのだろう。でもそれは私が人間だから感じることであり、不安を感じたら祈る。そうして大きな力に委ねて生きて行きたいと祈りました。

